虚無僧墓

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 虚無僧墓の由来によると天保年間(1830〜1843)のころ、一人の虚無僧が現在の下関市豊浦町小野の地にやって来て、尺八を吹いているとき以外は酒ばかり飲んでいました。

そんな虚無僧を村人たちは、敬遠していました。

ところが、村の娘が山賊に襲われたとき、娘を無事に救い出したのは、この虚無僧でした。


IMG_0727.JPG弘化3年(1846)9月15日、朝から「ウンウン」唸っていた虚無僧は、突然、川棚川の河原に走りだし、大きな岩に頭を二度三度ぶっつけて倒れました。

死ぬまぎわに虚無僧は、

「私は脳を冒されたために何もしてあげられなかったが、私の墓を建てて酒を供えてくれれば、あなたたちの苦しみを和らげてあげよう」

と言い残して息を引きとりました。


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村人たちは、虚無僧が頭の痛みを和らげるために酒を飲んでいたことを始めて知り、墓を建てて供養しました。

 河原にあった虚無僧の墓は、大正13年(1924)、現在の場所に建てかえられました。

 このような由来もあって、この虚無僧墓は、頭の病気に御利益があるということで、酒を供えに参拝者が訪れているといわれます。

 所在地  下関市豊浦町川棚中小野

 交通   JR山陰本線 川棚温泉駅からバス16分「虚無僧墓」下車、徒歩すぐ

      JR山陰本線 川棚温泉駅から車で11分

      小月 I.Cから車で30分

 問い合わせ 豊浦町観光協会 083-774-1211

小野小町の墓

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 解説板には次のように記されています。

 絶世の美女であった小町は、小野氏一族の文才の血筋を受け若いころから和歌の世界で活躍しました。

しかし、男たちの視線を一身に集めた麗しの歌人も、歳月とともに色あせてきました。

もともと自尊心の強かった小町には耐えられないことでした。

老いさらばえた姿を京の都にさらせまいと、小町は全国を点々と流浪しました。

流浪を重ねた末の小町は、川棚に着きました。

村人たちは、親切で温かでした。

小町は愛用の銅鏡を片時も話さず、日ごと失われていく美貌に無常を感じながら、晩年をひっそりと暮らしこの地に果てたと伝えられています。


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 「小野小町ゆかりの地」は日本全国28都道府県余りにに及ぶと言い、墓石の中央にはめ込まれた丸い銅鏡は小町が肌身離さず持っていたもので、ここ小野という地名も小町にちなむと言われています。

 次の歌からも美女であった事が窺えます。

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に 「古今集」

上の歌は、百人一首にも選ばれています。


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 生まれには多数の説がありますが現在の秋田県湯沢市小野(旧雄勝郡雄勝町小野)という説が主流となっており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っているそうです。

 京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小町は晩年この地で過ごしたとの説もあります。

ここにある随心院には、卒塔婆小町像や文塚など史跡が残っており、前述の「花の色は..」の歌は、花が色あせていくのと同じく自分も年老いていく姿を嘆き歌ったものとされています。

出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 所在地  下関市豊浦町川棚中小野

 交通   JR山陰本線 川棚温泉駅からバス16分「虚無僧墓」下車、徒歩すぐ

      JR山陰本線 川棚温泉駅から車で11分

      小月 I.Cから車で30分

 問い合わせ 豊浦町観光協会 083-774-1211