Archive for 11 月, 2008
岩谷十三仏
岩谷十三仏の由来解説板には次のように記されています。
(伝承による)
後奈良天皇の天文二十年八月、陶隆房(のちの晴賢)に居城山口を追われた大内家三十一代義隆公主従が、隠れ家として岩谷が浴八丈岩に隠棲されていましたが追手が迫り、脱出に当り世話をしてくれたお礼にと巻物一巻(大内家秘法ばんばら楽)を残されました。
弘治元年ごろ大旱魃のとき熊野神社にばんばら楽を奉納したところ、忽ち大雨となり旱魃を免れ、部落民は義隆公の供養として十三仏を作ったといわれています。
十三仏とは亡くなった方の、初七日から三十三回忌まで十三回の追善供養を司さどる慈悲あふれる仏菩薩で、極楽浄土へ往生することを願います。
平成九年三月
岩谷十三仏保存会
十三仏の名称
初 七日 不動明王 百箇日 観世音菩薩
二 七日 釈迦如来 一周忌 勢至菩薩
三 七日 文殊菩薩 三回忌 阿弥陀如来
四 七日 普賢菩薩
五 七日 地蔵菩薩 七回忌 阿しゅく如来
六 七日 弥勒菩薩 十三回忌 大日如来
七 七日 薬師如来 三十三回忌 虚空蔵菩薩
高い所に見張仏として文殊菩薩と普賢菩薩がおられます。
三回忌(三年目)死亡した時を一回目として三回目と数えるため、実際は死亡した年から数えると二年目です。以下七回忌、十三回忌、三十三回忌とも同様です。
人が亡くなった日を忌日といい、毎月巡ってくるその日を月忌といいます。 そして毎年一回巡ってくる亡くなった月の忌日が祥月命日です。
インドの輪廻思想からインドでは亡くなった人への供養として、亡くなった日から七日目ごとに七回の法要が行われ、(7×7)四十九日が過ぎると死者は他の生を受けると考えられました。
仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で、晩唐の時期に十王信仰は成立し、三回供養日が増えました。
日本では鎌倉時代には十王をそれぞれ十仏と相対させるようになり、時代が下るにつれてその数も増え、江戸時代には十三仏信仰なるものが生まれるに至りました。
仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の追善法要は救い損ないを無くすための受け皿として機能していたようです。
十三仏に名を連ねる仏のうち八尊が「干支」の守護仏として名を連ねています。
子 千手観音菩薩・丑 虚空蔵菩薩・寅 虚空蔵菩薩・卯 文殊菩薩
辰 普賢菩薩 ・巳 普賢菩薩 ・午 勢至菩薩 ・未 大日如来
申 大日如来 ・酉 不動明王 ・戌 阿弥陀如来・亥 阿弥陀如来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
所在地 豊浦町川棚中小野
交通 JR山陰本線 川棚温泉駅からバス13分「岩谷口」下車、徒歩20分
JR山陰本線 川棚温泉駅から車で10分
小月 I.Cから車で29分
問い合わせ 豊浦町観光協会 083-774-1211
下関の紅葉めぐり
種類
モミジ・イチョウ
神上寺は、九州の彦山に修行した役小角が来て、この地の徳仙上人と力を合せて華山(げさん)に開かれたと伝えられる山岳霊場で、宝亀七年(776)に山の中程に御堂が建立されたという。
元弘二年(1332)に後醍醐天皇の命で御堂が麓に近い現在地に移されたので、下山(華山)と称されるようになった。
同寺は朝廷・諸将・藩主などからの祈願所とされた大寺で、最盛期には12坊が連なり「西の高野山」とも呼ばれていたが、2度の大火に遭遇したこともあり、今は中ノ坊だけが残されている。
境内には仁王門や無明橋、雪舟庭園の他、国重要文化財や県指定文化財も数多く指定されています。
神上寺の紅葉はモミジ・イチョウが主であり、どれも巨木であるため見ごたえがあります。
見ごろ
11月中旬〜12月上旬
所在地 下関市豊田町江良
交通 JR山陽本線小月駅からバス26分「石町」下車、徒歩25分
中国自動車道小月ICから24分
問い合わせ 神上寺 083-766-0286
東行庵
種類
かえで
この地は清水山(しみずやま)と称し、幕末の頃奇兵隊軍監山県狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。
慶応三年(1867)四月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。(なお、「東行(とうぎょう)」とは晋作の号)。
晋作に仕えていた愛人うの(後に谷梅拠)は、黒髪を断って出家しその墓を守り菩提(ぼだい)を弔うようになったので、山県は明治二年(1869)無隣庵を梅処に贈り僧堂にあてていたが、明治17年に伊藤博文・山形有朋・井上馨等全国諸名士の寄付によって無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立された。
梅処は明治四十二年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。
近くには高杉晋作の記念館があるほか、早春には梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉と折々の彩りに囲まれた史跡として親しまれています
毎年行っているライトアップ。平成20年度も、11月1日から20日(予定)の18時から21時となっており、幻想的な紅葉をお楽しみいただけます。
見ごろ
11月上旬〜下旬
所在地 下関市大字吉田1184
交通 JR小月駅からバス14分「東行庵入り口」下車、徒歩10分
小月 I.Cから車で9分
問い合わせ 東行記念館 083-284-0211
覚苑寺
種類
かえで
元禄十一年(1698)長府毛利藩三代目藩主綱元(つなもと)が開基。中国福建省の人、宇治黄辟山万福寺七世悦山道宗禅師を招き、開山として創建したものである。
長府藩主の菩提所となり、綱元ほか二藩主の墓地がある。
付近一帯は和同開珎(わどうかいちん)の鋳銭所跡で、出土品は長府博物館に展示されている。
境内には狩野芳崖(かのうほうがい)、乃木希典(のぎまれすけ)の銅像や和銅焼の窯元もあります。
たくさんの楓の木があり、紅葉時期には大勢の観光客が訪れる紅葉の名所です。
見ごろ
11月上旬〜下旬
所在地 下関市長府安養寺3-3-9
交通 JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩15分
JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩15分
問い合わせ 覚苑寺 083-245-0649
長府毛利邸
種類
かえで・イチョウ
明治31年(1898)長府毛利家14代元敏(もととし)公によって起工され、明治36年(1903)に完成した邸宅で、大正8年(1919)まで本邸として使用された。
明治35年(1902)明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際当邸を行在所(あんざいしょ・天皇行幸時の仮の宮)としても使用され、一部の部屋は当時のまま残されている。
外壁に囲まれた約3千坪の敷地の中には、苔、石、池、楓等を巧みに配した池泉回遊式純和風庭園が整備され、純和風庭園と紅葉とのコンビネーションが醸し出す素晴らしい秋の情景に心癒されることでしょう。
邸内では給茶サービスもあります。
見ごろ
11月上旬〜下旬
所在地 下関市長府惣社町4-10
交通 JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分
JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分
問い合わせ 長府毛利邸 083-245-8090
功山寺
種類
かえで
旧名を谷の長福寺と称し、臨済宗であった。
嘉歴二年(1327)の創建で、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の尊敬厚く、山門隆盛し無双の大寺院を誇った。
弘治二年(1556)四月四日、大内義長は毛利氏のために当寺の仏殿において自刃した。
この戦乱により一寺堂宇は荒廃したが、慶長七年(1602)、長府藩主初代毛利秀元はこれを修営し、寺領山林を寄進してその菩提所とし、再び旧観に復した。
安芸国廿日市洞雲寺開山金岡襟師を請じて中興の開山とし、曹洞宗に転宗した。
秀元の死後、慶安三年(1650)、公の霊位を安置し、世々毛利家の香華寺として、秀元の法号智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。
元応二年(1320)建立の、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、典型的な鎌倉期禅宗様式として、国宝に指定されています。
数々の歴史の舞台となったところで、幕末の三条実美らの五卿潜居(ごきょうせんきょ)や高杉晋作の挙兵の場所でもあります。
初代秀元(ひでもと)をはじめ9人の藩主達の墓が仏殿裏にあります。
毛利軍に敗れ、この地で自決した大内義長(よしなが)のものと言われている墓は、裏の墓地の奥まったところにあります。
紅葉の名所で、功山寺の紅葉の素晴らしさは、1本1本の楓(かえで)の木も非常に大きく、国宝である仏殿や山門に映える美しく色づいた紅葉が、秋の美を感じさせてくれることです。
また、周りの木々に取り囲まれているため、紅葉が意外と遅いことで知られています。
見ごろ
11月中旬〜12月上旬
所在地 下関市長府川端一丁目
交通 JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分
JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分
問い合わせ 功山寺 083-245-0258