Archive for the ‘山陰海岸・新下関・内日周辺’ Category
内日水道水源池
下関市の水源地のひとつで、取水塔など、明治末期から昭和初期にかけて造られた上水道施設がいまでも稼働しています。
下関では、明治24年(1891)に議会の承認を受けて上水道の建設調査に取りかかりました。
内務省の技師でイギリス人のウイリアム・K・バルトンは調査の結果、上水道の水源地として当時の豊浦郡内日村の一ノ瀬が最適地であると報告しましたが、その後、日清戦争の影響などで、明治34年(1901)にようやく着工され、4年間をかけた貯水池工事と家庭配水工事を完了し、明治39年(1906)1月1日に待望の給水を開始しました。
時代と共に、その都市規模を拡大するに従い、水需要も多様化し増加したため、内日貯水池からさらに500mほど上流に第二貯水池を築造することとなり、大正14年(1925)に着工、昭和4年(1929)に完成しました。
所在地 下関市内日町
交通 JR新下関駅からバス20分「一之瀬」下車、すぐ
問い合わせ下関 市観光振興課 083-231-1350
中山神社・愛新覚羅社
中山神社
幕末期、急進派の公卿として活躍した中山忠光を祭神とする神社。忠光は弘化2年(1845)に大納言中山忠能の第五子に生れ、明治天皇の生母中山一位の局(慶子)は姉であり、従って忠光は明治天皇の叔父にあたります。
元治元年(1864)12月、20歳の時に、長州藩の俗論党によって田耕村(豊北町)で暗殺され、この地に葬られました。
愛新覚羅社
中山神社の境内にあり、平成6年(1994)2月28日に逝去した中国清朝最後の皇帝宜統帝(薄儀)の弟、愛新覚羅溥傑と昭和62年(1987)6月20日中国・北京市で73歳の生涯を閉じた、彼の妻で忠光のひ孫にあたる浩、昭和32年(1957)学習院大学生のとき伊豆天城山中でピストル心中した長女・慧生を祀っています。
所在地 下関市綾羅木本町7-10-8
交通 JR山陰本線 綾羅木駅から徒歩12分
JR下関駅からバス31分「綾羅木中山神社前」 下車、すぐ
(中山神社前経由が便利です)
問い合わせ 中山神社 083-253-0704
下関市立考古博物館
西日本屈指の弥生遺跡として知られる綾羅木郷遺跡に隣接し、弥生時代にこの地で始まった農耕文化や土器・石器の展示をはじめ、竪穴式住居の再現など、古代の状況がわかる仕組みになっています。
中国や朝鮮半島との交流を示す資料なども分かりやすく展示しています。
博物館そばには前方後円墳の若宮古墳や岩谷古墳もあり、社会科見学のスポットとしても利用されています。
所在地 下関市大字綾羅木字岡
交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩5分
下関 I.Cから車で9分
問い合わせ 下関市立考古博物館? 083-254-3061
綾羅木郷遺跡
綾羅木郷遺跡は、平野の中心に広がる丘稜の全面が 弥生時代の遺跡です。
発掘調査によって、台地の東部地域には竪穴住居跡や埋葬遺構が発見され、台地の中央部から西側は弥生時代前期に特徴的にみられる、多数の袋状竪穴群や弥生時代中・後期の溝などが発見されています。
古墳時代(ほぼ3世紀末から7世紀)の住所跡も存在しています。台地の西北の端には箱式石棺を主体とする、前方部が低く平らな前方後円墳もあります。
遺物として、弥生時代前期前半の土器や多くの石器などが発見されています。
所在地 下関市大字綾羅木字岡
交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩3分
問い合わせ 下関市立考古博物館 083-254-3061
梶栗浜遺跡
大正2年(1913)長州鉄道(現在のJR西日本旅客鉄道)が鉄道敷設工事の際に箱式石棺が出土しました。
発掘調査によって、ここから多鈕細文鏡や細形銅剣、土器などが出土しましたが、そのうちの青銅器は、我が国の遺跡から発見された例が少ない、朝鮮古代のものであることがわかりました。
この遺跡は、発掘された石棺の外に据えられた弥生土器の年代から、弥生時代前期末の墓地とみられていましたが、その後の学術調査によって、これら石棺の北側に弥生時代中期の土器をもつ墓が発見されて、この遺跡は南から北に向かって、墓地が順次広がっていったものであることがわっています。
所在地 下関市梶栗町4丁目
交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩5分
問い合わせ 市観光振興課 083-231-1350