巌流島

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 関門海峡に浮かぶ周囲約1.6kmの小島で、慶長17年(1612)4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したことで知られています。

 正式名称は舟島と言いますが,敗れた小次郎の流派名をとり、巌流島と呼ばれるようになったということです。

 島内に佐々木巌流之碑(船島開鑿工事完成を祝って明治43年に建立されたもので、小次郎の墓ではありません。)が現存しています。

 現在は、海沿いの散策道なども整備され、2003年春からは定期船も就航し、だれでも気軽に訪れることができます。

 所在地  下関市大字彦島字船島648番地

 交通   唐戸桟橋・門司港桟橋より直行の定期船で10分

 問い合わせ 下関市観光産業部観光振興課 083-231-1350

金比羅本宮

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 文政二年(1819)旧藩主毛利元義公が海防と福浦港の繁栄を図るため、郡代水野忠実に命じて長府忌宮神社境内に祭ていた金毘羅宮を当彦島福浦湾頭兜山(富観台)に遷座したもので、文政三年(1820)に神殿・拝殿が完成し遷座祭を行ったと由緒に記されています。

 下の鳥居から頂上に向って続く石段は、四十度の急勾配で二七〇段あると言われており下からその境内を見ることはできません。

 境内には、拝殿に向って左側に小高くなった所があり、この小高い所に文政十三年(1830)九月小田圭(長府毛利藩の儒学者)の撰文により造られた、自然石の「福浦富観台記の碑」が建てられ台座は昭和四年(1929)十月に改修されています。

 嘉永二年(1849)藩の命令により吉田松陰は、北浦、下関一帯の海防調査を命じられ同年七月十六日この金比羅宮にも参拝されています。

 当時は社に登る石段は途中までで、 北前船からの寄付金によって少しずつ石段が増えていきました。 それでも160余段、完成すれば200段ばかりにもなろうと、松陰の「廻浦紀略」に記されています。

 この頂上から、六連島、蓋井島、白島から対岸九州までを一望に収めた眺望は素晴しかったようですが、現在は樹木も成長して、まったく眺めることはできなくなっています。

 所在地  下関市彦島福浦本町

 交通 JR下関駅からバス14分「福浦本町」下車、徒歩2分

      下関 I.Cから車14分

 問い合わせ 下関観光情報センター  083-231-4141

彦島八幡宮

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 創建は平治元年(1159)十月十五日、彦島開発十二苗祖の総祖河野通次が豊前国宇佐八幡宮より分霊を勧請したものと伝えられています。

 彦島全島の総鎮守として、また安産の神としても崇められており、秋には「サイ上り神事」が行われます。

 境内には、昭和33年(1958)8月に、山口大学考古学小野教授(当時)発見による「宮の原遺跡」があり、縄文前期後期の土器や石族、石斧、石錘、石砥等三千余点が出土し、古代人の居住が確認されました。

 昭和34年(1959)に発掘調査が行われ、「曾畑式土器」が多く出土しましたが、その多くは、下関考古学資料室に委託収容されています。

 所在地  下関市彦島迫町5丁目12-9

 交通   JR下関駅からバス14分「東圧正門前」下車、徒歩3分

      下関 I.Cから車14分

 問い合わせ 彦島八幡宮 083-266-0700