藤原義江特集|下関TV

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下関出身の世界的なオペラ歌手、藤原義江

藤原義江「われらのテナー」と讃えられた藤原義江は、
明治三十一年(一八九八)、下関で生まれた。父はネイル・B・リードで、母は坂田キク。義江は、母と二人で下関から海峡を越えて若松、国東、杵築と転々としながら幼年期を過ごした。一見混血児とわかる容姿は周囲の人々から、奇異の目を浴びせられることも少なくなかった藤原義江は、その逆境を、耐えて生きた。
名作曲家・團伊玖磨は「藤原義江先生が、あのような困難な時代に、音楽の道を切り拓かれたからこそ、今日の日本の音楽界があるのです」と称讃してやまない。
幼年期、大阪から、ひとりで夜汽車に乗って下関へ。瞼の父に再会したゆかりの場所が、現在、関門海峡を見下ろす高台にある藤原義江記念館。そして直木賞受賞作家・古川薫の「漂泊者のアリアの部屋」
どうぞ、メロディ・ゲートをくぐってご来館ください。音楽の泉湧く、ゆかりの場所に。

藤原義江記念館友の会

藤原義江 ロンドンの日本大使館で一等書記官をつとめている吉田茂が、義江のことを日本人クラブに出入りしていた一条実基男爵から教えられ、ひどく興味をそそられたらしい。英国人と日本人のあいだに生まれた男であること、ミラノでオペラを勉強していたこと、そして西洋流の歌唱で日本の歌をうたうことなどを知って、一度会ってみようと言っているという。
 十一月七日の夜、公邸に招かれた義江が、タキシードを着込んで行くと、ロンドン・タイムズの学芸記者もきていた。一緒に日本食をご馳走になったあと望まれるままに、『荒城の月』など日本の歌のほか、ミラノで仕込んだオペラ『ラ・ボエーム』のアリア『冷たきこの手』などをイタリア語で歌った。あとでタイムズの記者が、なかなかのものだと感想をもらしたことが、義江に大きなチャンスを与えることになった。
 この日から二週間後に、吉田書記官はラングハム・ホテルの大ホールで茶会を催し、新聞記者、音楽評論家のほか文化人、各国の外交官など七十人ばかりを集めた。義江を応援する意味での茶会だが、日英混血児の歌手による日本の歌をロンドンで披露し、ある種の国威発揚の目的もひそかに用意しているところが、吉田の政治性にすぐれた外交官としての意欲というものであった。義江は歌いまくったが、ここでもやはり『荒城の月』が大好評で、またマスネー作曲のオペラ『マノン』のアリア『夢の歌』も喜ばれた。翌日、写真入りでロンドンのほとんどの新聞がこの茶会を大きく報じた。

(中略)

 プログラムの中では、例によって『荒城の月』と『マノン』が圧倒的な人気で、二度もアンコールされた。新聞もこの独唱会を報じ、初めて批評が出た。「声量に欠けるが、彼のベルベットの如き声のやわらかさとピアニッシモの見事さは、ジョン・マコーマックに比すべきもの」と書いたエクスプレス紙の誉め言葉が最高のもので、まずは大成功だった。
いわば彗星のように、義江はロンドン、つまりは世界の楽壇に思いがけなく登場できたのである。

古川 薫著
直木賞受賞「漂泊者のアリア」 第三章・ナポリ湾の夕陽より


※以上、藤原義江記念館友の会会報「われらのテナー」より抜粋させていただきました

紅葉館(藤原義江記念館)

 住所:下関市阿弥陀寺町3-14
 電話:083-234-4015
 FAX:083-234-4133
 開館:10:00~16:00